『大和歌』(左近、兼続、三成)

※格好良い兼続が好きな人はちょっと見ないほうがいいかもしれません。

※景勝様が好きな方も、気に障ったらすみません。






初夏独特の、湿度の低い爽やかな風が吹いている。あと少しで皐月が過ぎようとしているこの時期は、春に芽吹いた新葉が最も美しい。京は伏見・石田邸の手入れの行き届いた広い庭でも、色とりどりの緑が眩しい陽の光を受けて青く輝いていた。


武具の手入れをひと通り終えた左近が家の者から客の来訪を告げられたのは、金沢の前田家から三成が戻って来て三日目の午後、その日差しが朝よりも強くなってきた刻だった。誰が来たのか訪ねると、直江兼続だという。

「お一人か?」

「はい、お一人です」

上杉は少なくともあと二日間は金沢に滞在してから初入洛すると聞いていたが、彼だけ前準備のために一足早く来たんだろうか。直江兼続は先の越水で三成と義兄弟の契りを交わした男である、主君を伴う公式訪問でなくても本来であればすぐに三成を呼ばなければならないところだが、あいにく昼前から秀吉への書状をしたためるために書斎に籠っており、それが済むまでは声をかけるなと言われている。


ちょうど手が空いたところだし、しばらくお相手するか。

家の者に指示を出し簡単に着物を正してから、左近は腰を上げた。


直江兼続とは過去に一度だけ、同じ戦場に立ったことがあった。筒井家に仕える前の一時期、左近が武田軍に身を寄せていた頃、川中島で上杉本陣に奇襲をかけたときに迎撃隊の中に居たのだ。軍神といわれた謙信公の後継である上杉景勝の傍を片時も離れず奮戦していたことをよく覚えている。

あの時は戦いぶりが多少目立っていただけで多分に幼さと未熟さを残していた彼が、同盟国の使者として挨拶を交わす立場にいることと、その兼続と同年齢の三成に仕えている自分のことを同時に頭に浮かべた左近は、時の流れは早いものだと心の中で微笑した。


客間に左近が顔を出した途端、折目正しく一礼をした兼続は、見違えるほどではないにしろ上杉と豊臣を繋ぐ渡し守としての役割を十二分に果たしているらしかった。立場としては上杉の一将でしかないのに、天下の豊臣に仕える大名の屋敷に居ながら、その一番家老の自分を前にしてこの落ち着きと佇まいは大したものだ。

加えて我が殿石田三成は、兼続と越水で出会ってから表に出さないまでもかなりの信頼と親しみを寄せているらしく、まめに文をしたためては越後まで飛ばしいる。大半は外交の内容であろうが、他の書簡を書くときよりも明らかに楽し気なのは事実だ。

直接話をして人物を確かめてみたいと前々から考えていた左近は、与えられた機会を存分に使おうと、にこやかに兼続へ酒を勧めた。



戸を開け放った縁側から、獅子脅しの音と緑風が部屋に舞い込んできて幾刻。畳に置かれた酒器は、すでに二つばかり空になっている。

「なるほど、直江殿はもともとは樋口姓だったんですか」

兼続が上杉家臣の名門、直江家の嫡男ないし次男であると勘違いをしていた左近は、意外そうな声を上げた。

「はい、景勝様が幼少の頃より、近習とてしてお傍に仕えております」

上杉の跡目争い、世にいう御館の乱に兼続が深くかかわっていたことは左近もよく知っていた。口の悪い者のなかには、彼の働きで凡庸な景勝が謙信の跡を継げたのだと言う輩もあるほどだ。しかし、そんな兼続が元は上杉家臣の名門、直江姓でないとは初耳だった。

「名家を継ぐまでにいたるとは、よほどの信頼を受けているんですなあ」

豊臣秀吉さえも一目置いているという年若い将へ、酒を注ぎながらその功績を素直に讃える。

「ありがとうございます」

気持ち頭を下げて感謝を表し、左近の杯を受けた兼続だったが、何故か無表情のまま注がれた酒に口をつけた。

「大和にその人ありと言われた左近殿と違い、私にありますのは忠義のみですから」

その、穏やかな声に覚えたわずかな違和感に、左近は思わず眉を上げた。

今の兼続の言葉は一見ありきたりの下手な世辞に聞こえるが、よくよく反復してみると、純粋に忠義のみで景勝に仕える自分と、穿った見方をすれば高禄のみに誘われたかのように見える左近を比較した揶揄ではなかろうか。いや、それはさすがに考えすぎかと思い直したのも束の間、兼続がさらに慇懃な口調になって左近を見据えた。

「武田、筒井と君主を変える、その身ごなしを少しでも見習いとうございます」

そう言って、杯の酒を一息に空けた。


………なるほど。

再び杯を満たしてやりながら、左近は温和な顔の裏にある、兼続の冷ややかな対抗意識を明白に見て取った。おそらく生真面目な彼のこと、義兄弟に対する真っ直ぐな想いが三度も君主を変えた自分に対してこのような態度をさせているのだろう。

だが、大事な殿に並々ならぬ友情を寄せてくれるのはありがたいが、頭が大きいとろくなことにならない。


ちょっと、教えてやるか。


考えをおくびにも出さず兼続に注がれた杯を干すと、左近は故意に明るい声で話題を変えた。

「ときに、直江殿は漢詩などもたしなまれるそうで」

急な物言いの左近に兼続は訝し気な顔をしながらも、瞬きのあとに謙虚な目伏せをしてみせた。

「はい、詠むほうはあまり得意ではありませんが……」

「私が詠むのは無風流な武士や庶民の間で流行る狂歌なんですけどね。ま、愚作凡作ばかりですが、先だって浮かんだこれなどはなかなかうまいと思うんですよ」

おそらく義理がほとんどだろうが、面白そうだから是非聞かせてほしいという兼続に、左近はわざと含み笑いをする。

「“過ぎたるもの”のひとつですがね」

一拍呼吸を置いてから。

左近は、真っ直ぐに兼続と目を合わせておもむろに口を開いた。



  景勝に、過ぎたるものがふたつ、あり

   上杉の名と、直江



一瞬、だった。

兼続、と口にするより早く、閃光が走り首の間を冷たいものが通り過ぎた、気がした。



実際刀は首に届いでおらず、左近の肩上すぐ横で空に浮いていた。しかし、先端まで震えが伝わるほど強い理性で押し止められた真剣の、研がれた刃が下でなくこちらに向けてられていることは、目をやらずとも立ち籠めた殺気で分かる。


切る意思があったな。


首も体も動かさず、兼続のほうを向いたまま左近はにやりと笑う。

「冗談ですよ」

ここが豊臣直参である石田三成の屋敷内だというのに刀を抜き、屈辱で言葉を失いながらも筆頭家老の自分を睨みつけている若輩に言った。



「ま、私の石田三成に対する忠心は、貴殿が景勝公を想うそのお気持ちと同じと、お分かりいただければ」


「――――!」


――― 引き潮のように、左近の首周りに立ち籠めていた殺意が失せた。

しばらくそのまま左近を見つめていた兼続は、やがて静かに刀を相手から離して目線を下げると、恥ずかしそうに小さく呟いた。

「……失礼しました」

その言葉に、左近も深々と頭を下げる。

そうして、誤解が解けたと同時に兼続の人となりが知れたことに満足の息をついた。

豊臣と石田三成に媚びたいあまり己の君主への侮辱を一笑に伏すようであれば、刀こそ抜かないにしろ、彼を信用することは一生涯あり得ないであろう。

やはり、殿が見込んだだけの御人だ。

「こちらこそ、ご無礼をお許しください」

頭を下げたまま、心の底から左近は言った。

「今後とも、我が殿を宜しくお願いします」



珍しく血相を変えた三成が部屋に入って来たとき、すでに兼続の刀は鞘に納まっていた。

「左近っ!」

険しい顔をしてずんずん近づいてくる三成とは反対に、杯を手にした左近は涼しい顔をしている。

「秀吉様への書状はお済みですか」

「そんなことはどうでもいい。今、何をしでかした」

迫る三成の向こう、目の端で捉えた廊下には若い下女が戸襖にもたれてこちらを見ながら震えていた。酒の具合を確かめに来た折、左近が怒りに満ちた兼続に刀を突きつけられている様を見て慌て、人を呼んでしまったのだろう。

彼女に後で詫びを入れておくことを頭の片隅に置き、明らかにはぐらかしていますという口調で左近は言った。

「何にもしてませんよ」

うそぶく様子に、さらに三成は眉を吊り上げて左近の襟を掴まんとする。

「誤摩化すな、今さっき……!」

「いや、左近殿の言う通りだ」

もう一度左近がとぼけるより先に、兼続の声が詰め寄る三成の動きを止めた。

「本当に、何でもない」

三成同様左近もおや、という顔をして兼続を見る。

「左近殿の忠義の証を見せていただいただけだ」

目が合うと、わずかに笑みを見せてから兼続は、左近に向かってゆっくりと頭を下げた。



あと少しで手が空くから待っていてほしいという三成の申し出に、自分の到着と、景勝様の前田家出発が少し遅れたことを知らせに来ただけだからと言って兼続は帰り支度を始めた。

「それから、真田の次男を連れて来た。謁見の際私と同席できるよう手配してくれないか」

そう告げると、三成とその隣にいる左近に丁寧に礼をして、兼続は上洛の仮屋敷へ戻って行った。


「きれいな顔して怒らないてくださいよ」

見送りを終えた三成が不機嫌なのは、からかう左近にか、帰ってしまった兼続にか。

「ま、殿が惹かれる理由が分かりましたんで、左近は満足ですが」

軽口を無視して書斎に戻ろうとする背中に追いついた左近の声に、つ、と三成の歩が止まった。

「惹かれる?」

予想外の言葉にきょとんとしたあどけない顔を左近に向ける。

「誰にだ」

「おやおや」

まったくこの人は。どこまでもかわいい人だ。

「ご自分でお考えください」

堪えきれず、笑いをもらしたまま左近は三成の背中を叩くと、追い越しついでに柔らかい髪に口付けた。

「なっ……言いたいことあるならはっきり言え、左近―――」

教えませんよと歩を止めずに言う家老の声はいつになく楽し気で。

今度は三成が、書斎へ向かう左近の背中を追いかけはじめた。



2007.5.7

# 2007.12.30 時間軸の間違いを修正

# 2012.2.25 微修正




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お読みくださりありがとうございました。左近が兼続を認めるきっかけと、兼続が左近を尊敬するきっかけが書きたかったのです。


左近の一人称は、主人の客人(兼続)の前なので「私」にしています。

兼続も初対面なので左近に対しては敬語です。


今回の話も、無双シナリオをベースに史実を絡めています。なので、川中島に兼続も左近も居たことになっています。ちなみに、左近は、武田→筒井→石田という流れで仕えていたことにしてしまいました。また、真田の次男とは幸村のことです。

なお、当たり前ですが文中の狂歌は完全に創作を通り越して捏造です。

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