『壺鈴虫』(兼続×三成)




暦の上で立秋が過ぎたとはいえ、昼間の京都はまだうだるように暑い。

「お前に見せたいものがある」

二度目の京都滞在初日、景勝の到着を伝えに来た兼続に、長旅のねぎらいもそこそこに三成が言った。


手を引かれるように急かされて連れて行かれたのは、屋敷の上階奥にある三成の書斎。品の良い欅の机と机台が奥にこじんまりと佇み、小さな床の間にある掛け軸と白磁の生け花皿意外はこれといった装飾品がない。兼続がここに来るのは二度目だが、派手好きな秀吉の下で一、二を争う地位にある者の部屋かと、つい疑ってしまう。

さして目新しいものはなく、何を見せたいんだと問おうとして開きかけた兼続の口を、三成の手が素早く遮る。自分の口にも指を立て、静かに耳を澄ませと目で促された。

訳の分からないまま仰せの通りに兼続は、瞼を閉じて全神経を耳に集中させる。


すると。


りぃ りぃ り

りぃ りぃ り、り


りぃ りぃ り

りぃ りぃ り、り……


真昼なか、それも地上から離れた空間に聴こえないはずの音に兼続は思わず目を開き、驚いた顔をそのまま三成に向けた。期待通りの反応に三成はにやりと笑い、どうだ、と得意げに小さな声で囁く。

兼続の好奇心に満ちた視線に促されるまま部屋の片隅へ向けた三成の指の先には、部屋に入ったときは見落としていた、暗い色の衝立があった。近寄って覗き込むと、衝立の向こうには大人の一抱えより少し小振りな土壺が置かれていた。地味な色合いのその壺には、簾を切り取ったような蓋がされている。

「この中か?」

「そうだ。こうやって暗くしておくと、昼間でもよく啼く」


平素であれば鈴虫とは、夕暮れから夜にかけて、茅や籐で編んだ籠に入れて楽しむものだ。

まだ日の高いうちから明るい書斎で聴く涼やかな羽音は、周りの暑さを緩和して静かに胸に滲みてくる。目を閉じると宵が訪れ、目を開いた途端また昼に引き戻されるその不思議な感覚に、兼続は思わず感嘆の息をついた。

「作り方を教えてもいいぞ」

腕を組んで屈み込んだまま、時折小さく唸りながら前後左右に体を傾けて壺を見回す兼続に言う三成の声は心底嬉しそうだ。

「来年越後でもやってみたらどうだ」

「それは、ありがたいな」

もう一度目を閉じて鈴虫の声を聞いてから、兼続は立ち上がって三成の後に着いて行った。


明日の謁見の手配を相談しながら向かった先は、屋敷の裏、日の当たらない北側に位置している粗末な蔵だった。一歩足を踏み入れただけで外界と遮断される独特の薄暗い空間、普段は農具入れとして使っているらしいその蔵は、今が暑い真昼であることを忘れさせ、日光を遮断した土埃臭い空気で二人をじわりと包みこむ。静かで涼しいだろうと言う三成の言葉に相づちをうった、そのとき。

兼続の胸に、妙な考えが去来した。


――二人きり、か。


次の瞬間自分に呆れ、馬鹿なことをとすぐに打ち消したつもりだった。だが、一度心に浮いた感情はそう簡単に散らず、それどころか本人の否定を裏切って次々と兼続の何かを突き動かそうとする。


――ここなら、誰もこないし誰もいない。

――声を出されても、屋敷には届かないだろうし。


そのたびに、兼続は心の中の首を振り、頭の中で深呼吸を繰り返して冷静さを保とうとした。この蔵はいつからあるんだ、などと意味のない質問で気を逸らしながら、共に奥へ行こうとしていた歩を意識してゆるめ、自分なりに努力をしてみる。


そうとは知らない三成は、暗い蔵の奥深くに等間隔で並んでいる壺のひとつに近づくと、距離をおこうとして後ろで突っ立ったままの兼続を手招きした。誘われるまま三成に近づいてぎこちなく覗き込んだ壺の中には黒土が七分ほど入っており、触ると指に生冷たい湿めり気が伝わってくる。

「まだ作りかけだ。今は、湿らせた土を少し冷やしている」

露濡れの黒土と生暖かい外気とを遮断する厚い壺肌、そして日光を遮る衝立てと小さな簾の蓋が、壺の中の鈴虫を夕方と勘違いさせるらしい。そもそもは茶会のときに秀吉様が……と、三成は言葉を続ける。

しかし兼続の頭には、説明を聞こうとする自分と己の感情を聞こうとする自分との諍いのせいで、内容がちっとも入ってこない。


ああ、やっぱり利休殿の発案か、聡明な方だ、と思いながら。

薄暗く肌寒い場所で、手を伸ばせばすぐに触れられるくらいそばに三成がいる、と思う。


「で、乾燥しすぎないようにときどき蓋を水に浸して……」


その肩を掴んで。こちらに引き寄せてしまえば。

それとも、華奢な体を抱きすくめてしまったほうが。


「――おい」

呼ばれて、兼続は我に返る。

「聞いてるのか」

切れ長の目に不機嫌を宿した三成が、壺の中の一点を不自然に見つめる自分を覗き込んでいた。

「……ああ、湿り気が必要なんだな」

勘づかれまいと言葉を繕うそのときでさえ、この瞳が潤んだら、と考えてしまう己が我ながら嫌になる。

「そうだ、乾燥しすぎないようにな」

聞き漏らしてはいない様子に何故か悔しそうな三成は、ささやかな抵抗として兼続の言葉を自分の言葉に言い直してから、視線を壺に戻してまた話を始める。


そんな三成の様子に兼続はほっと安堵の息をついた。


りぃ りぃ り

りぃ りぃ り、り


晩夏の真昼に感覚を狂わせて啼く、薄闇の中の壺鈴虫。儚い羽音を奏でる鈴虫は雄、それは恋しい相手への求愛。


りぃ りぃ り

りぃ りぃ り、り……


耳に蘇るその音に、自分も鈴虫になれたらよいのにと兼続は思う。

晩夏の真昼、感覚を狂わせて己の愛を啼く、薄闇の中の壺鈴虫に。


2006.5.3


―――


長い話をお読みくださりありがとうございました。まだ片思いの時期なので体の関係はありません。

兼続がたいぶ気持ちの悪い人になってしまいました。すみません。


ちなみに「壺鈴虫」というものはこの世に存在しません。千利休のくだりも含めて完全に捏造です。すみません。たぶん本物の利休はこんな自然に反したもん、目の前にあったら即顔を背けるか叩き割るかかと思います(それでこういうの好きそうな秀吉にむっとされる)。

三成大好きを自覚し始めた兼続の話、でした。

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