『天の華』(兼続×三成)




文禄某年葉月某日。半島出兵の足がかりとして築かれた名護屋城では、小田原城陥落にあやかった盛大な祭が、豊臣秀吉の名のもと連日連夜催されていた。


宴席には津々浦々から取り寄せた酒と食物が飛び交い、色提灯や選りすぐりの芸人、獣回し、舞女たちが祭に華を添えている。城の周りに陣屋を築いている諸大名は勿論、戦に直接参加していない各国の大名も朝鮮から一時帰国している大名も、表向きは皆一様に豊臣の安泰を願い豪華絢爛の宴を楽しんでいた。

城下も例外ではないようで、地域全体が熱に浮かされたようにこの騒ぎに身を委ねているらしい。使用人たちに一日二日の暇を与え、祭の直中へに繰り出すことを許している大名も少ない人数ではなかった。


その、狂乱じみた夜宴場からだいぶ離れた庭の端。外へ通じる道程にある東屋の前で、三成はひとりぽつんと佇んでいた。


本来であればこんなところに居てよい立場ではないのだが、宴半ばで陣屋に帰られる景勝公に付き添った兼続を見送る名目と周囲の浮かれた騒がしさに便乗して抜け出したのだ。

通常主催側の人間が座を離れるなど許されないことかもしれないが、今夜は清正や行長をはじめ子飼の将たちが秀吉の周りを固めていることもあり、割とすんなり席を立つことができた。しかし、夜虫の音に囲まれながらこの場にとどまってたいぶになるというのに、色とりどりの提灯と噎せ返るような熱気のなかのざわめきが未だ頭の裏に張り付いて離れない。ひとつ溜息をついて三成は、無意識に端正な眉を寄せた。


豊臣が、圧倒的な物量を以て小田原城を攻め落とし戦国の世を事実上統一したのは、つい、一昨年。あのとき、もう戦はこの世からなくなると固く信じていた自分は、今にして思えば甘さの塊だったのかなと三成は自嘲と共にぼんやり思う。

確かに日の本での戦はなくなった。大名同士の水面下の抗争は相変わらずとして、とりあえず表面上は着々と国の基礎が出来つつある。けれど小さな器で満足できない我が殿は、今、大陸の権力をも渇望している。


秀吉のことは大好きだった。一介の寺小姓だった自分がここまで出世できたのは、自らの努力もあろうが、何よりそれを十二分に認めてくれた秀吉の力添えに他ならない。あのお方と豊臣家のためならいくらでも力を捧げようと思う気持ちは、今も昔も変わらない、のだが。

「………」

振り切るように仰いだ星空さえも祭の明かりで霞む様が何故だかひどく悲しくて、三成はまた、深く息をついた。



気配に、ふと、向こうを見る。暗闇の先に橙の仄明かりがひとつ、ゆらりこちらに近づいてきた。

仰々しい手提灯に描かれているのは見紛う事の無い桐御紋。その印を見て三成は、近づく人影の正体に気付いたうえその後の反応まで予測できたが、あえて姿を隠さずにその場に居続けた。

案の定、柔らかな明かりは、道行く前の人を認めてぴたり、動きを止める。

「三成」

借り物の手提灯を高く掲げた兼続は、もとより大きな眼をさらに見開いてこちらを見ていた。城門の先まで景勝を送りに行った自分とすいぶん前に別れたはずの三成が、宴席への戻らず道途中で、供さえ連れずにふらり立ち止まっている姿にたいぶ驚いているようだ。

「こんな所に居ていいのか?」

近づいて心配そうに下から顔を覗き込む声音には、三成の意志も含まれていたとはいえ、主家主催の大事な宴席の真っ最中、中座に付き合わせてしまった後ろめたさが含まれていた。

問いかけの返答を待ってみても何も言わない三成に、兼続の声がさらに深い憂いを帯びる。

「戻りにくいのであれば、秀吉様には私からも詫びを……」

「いや、」

さらに案じようとする兼続を制し、三成は道より一段高い位置にある東屋の傍から離れると、すいと段から下りて今まで立っていたその石畳に腰かける。

「戻りたくなかっただけだ」

言い捨ててから見上げた兼続はまだ何か言いたそうだったが、深く俯いた自分の様子を察してか、両の目に優しい憂慮を宿すだけに留めてくれていた。


天下に手が届き、その先はどうなるのかという問いに対して秀吉から出された答えは、結局数を積み続けるということ。圧倒的な力と数が泰平をもたらすと信じて止まない秀吉が、支配する物と土地を求めて決行された大陸への戦は、かつて秀吉がいつも口にしていた「皆が笑って暮らせる世を作る」という言葉からはほど遠かった。

戦に犠牲はつきものとはいえ、多くの苦しみが報われる日が来ないまま計画された今宵の宴も、現実から目を逸らし豊臣の力を誇示したいだけの偽りの宴。力と数の絡繰りに過ぎない。


けれど、そのまやかしすら生み出せない己の無力も、三成はひしひしと感じていた。戦に積極的でない自分の態度は武功派の将から反感を買い、結果として足並みを乱してしまっている。その上、秘密裏に画策している和平交渉はこちらの努力とは裏腹に遅々として進んでいなかった。


それとも。講和が頓挫しているという事実そのものが、己が下した選択が間違いである証拠なのだろうか……。


「兼続」

沈んだ声で、黙ったままの友へ迷いを帯びた表を上げる。

「所詮、力に頼らず泰平の世を築くことなど……」

三成が言葉の続きを口にしようとした、そのとき。


瞬時に煌めいた閃光と轟音の衝撃が、二人の視線を天に向かせた。

共に見上げたその瞳に、光の花弁が夜空からはらはらと降り注ぐ様が映る。


全身を突くような音と共に夜空へ放たれる花火は、秀吉の号令のもと選りすぐりの職人たちを集めたかいもあり、次々と天を華麗な姿で彩り続ける。

「見事だな」

兼続の感嘆に、三成も目を釘付けたまま頷く。

事実、夜空に開く瞬間はもちろん、大輪菊の散り際さながらにしなやかな光が柔らかく落ちる様は、その経緯がどうであれ、息を飲む程美しかった。


「天に花が咲くのは、秀吉様と豊臣の力の賜物だな」

穏やかな口調で兼続は、目を細めて燦爛な花火の丸ごとを屈託なく褒める。

「しかし私は、天ではなくて地や野に花を咲かせる世にしたいと思う」

空から目を離し、緩慢な瞬きを返した三成の隣へ腰を下ろすと、手提灯を足元に兼続はそのまま同じ目線で夜空を仰いだ。

「荒れ地に種を蒔くのは骨だろう、三成」

絶え間なく上がる花火を見つめながら言葉を続ける。

「だが、左近も、幸村も、私も。皆、お前の傍にいるぞ」

そう言って、兼続はこちらを向いた三成の瞳を真っ直ぐ捉えて微笑んだ。



降り注ぐ光に照らされながら言われる真正面の言葉は相も変わらず照れ臭い。けれど三成はその笑顔に思い出す、小田原攻めのあの時も、自分の迷いにもうひとつの答えをくれたのは他ならぬ彼であったということを。



俯いたまま小さく礼を告げた肩を優しく抱き寄せてくれる兼続に、三成もまた安らかに頭を預けて華咲き乱れる天を仰ぎ見た。




力の支配と数の論理を、この手で覆すその時を

必ずや、貴方の傍で共に分かち合えますように。




2006.9.5



―――


この話は「兼続と三成で夏祭りいちゃらぶ」というリクエストによって書かれた物です。(霞月様、その節はありがとうございました!)

花火があったのかとか祭りがあったのかは定かではないのですが、二人が名護屋に居た時期の話としてお読みいただければ幸いです。

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