『聖夜の』(兼続×三成)




腕時計の時刻はいつもより若干早い20時すぎをさしていた。年末の忙しい最中、常であれば数人の社員と帰宅の挨拶を交わす時間帯である。だが、今日という日がそうさせるのか、エレベーターホールには人の気配などかけらすらなかった。ひと足早く飾られたしめ飾りも、どことなく寂しそうな佇まいをみせている。


しんと静まりかえった正面玄関から地下駐車場まで、兼続は携帯電話の画面を見ながら一人足音を響かせていた。

やはり、三成からのメールはない。約束を反故にしたのは自分のほうだからこちらに落ち込む権利はないのはわかっていても、やはり気持ちが沈んでしまう。


今年はそっちに行けない。クリスマスイブの前々日の夜、土壇場でそう伝えた直後の三成の声は、以前予定外の仕事が入って急遽兼続が東京から新潟に戻らなくてはいけなくなったときのものに似ていた。

電話の向こうの三成は素っ気なく、仕事なら仕方がないなと言いつつも、それまで普通に話をしていたのに言葉の数が減って、最後はもう遅いから寝る、の一言で通話を切ってしまった。それから着信もメールもなく、今に至る。


短い時間のやり繰りができないのは遠距離恋愛の難しいところだ。お互いが暇でもなければ責任も軽くない仕事をしているのだから、約束を守れないことはある程度は不可抗力だということもよく理解している。とはいえ、直近で予定を変えてしまった罪悪感はそう簡単に拭えるものではない。


車を動かす前にもう一度、着信を確認する。念のためセンターに問い合わせをしたが未読のものはなく、いつもと同じ待ち受けが暗い車内にしばらくぼんやりと光を放ってから消えた。

送信の画面を呼び出してから、息をつき、兼続は携帯を閉じてサイドのドアホルダーに差し込んだ。


会社を出た頃合いに丁度始まったカーラジオのニュースはこれから天気が崩れてくることを伝えていた。この季節に雪が降ることなど日本海側では珍しくもないが、24日の夜ということもあってアナウンサーは心持ち楽し気な声をしている。

ちなみに太平洋に面した東京はここ一週間ほど気持ちのいい冬晴れで、駅前や主要施設は連日イルミネーションを見に来る恋人たちで賑わっており、もちろん今夜はそのピークだそうだ。たぶん、三成のいる都心のオフィス街でも、早い時間からたくさんの人々が想い人への気持ちを胸にして街を歩いているのだろう。


食事は仕事をしながら済ませてしまったからどこにも立ち寄らずにまっすぐ帰るつもりでいた兼続だったが、自宅が近づくにつれてなんとなく小腹が空いてきた。幸い道路の流れは順調だから、このままいけば帰宅途中にある量販店の閉店に十分間に合う。たしか月のはじめごろから敷地内の特設会場でクリスマスケーキを売っていたはずだ。せっかくだから小さいものを一つ買うのもいいかもしれない。信号待ちの間に局を切り替えたラジオから、Santa Claus is coming to townが陽気に流れてきた。



量販店は時間帯の割に意外と人出が多かった。決して狭くない駐車場も、ちらほらとしか空きがない。兼続が買い物を終えて戻ってきた時分にも、頻繁に車が出入りしていた。

おまけの小さいキャンドルと店内の雰囲気に飲まれて手にしてしまった白ワインと共に、兼続は申し訳程度にサンタのシールが貼ってある飾り気のない小さなケーキの箱を助手席に置いた。このまま順調に行けば21時前には余裕で自宅に着く。着いたらすぐにでも三成に連絡をしよう、そう思いながら、キーに手をかけた矢先。低い振動音が車内に響き、同時にほのかな明かりが下のほうからハンドル部分を照らした。

聞き慣れた3つきざみの振動に、兼続は慌てて携帯を取り上げ耳にあてる。

「もしもし、」

三成の返事に一瞬戸惑いがあったのは、兼続がすぐに出ると思っていなかったからに違いない。

「どこに居る」

電話の向こうの三成は、一昨日よりは若干機嫌を直してくれているような雰囲気だったが、帰宅途中で郊外の量販店にいることを告げると、何故かふん、と鼻をならした。

「私からのプレゼントは届いたか? 革製の手帳を贈ったんだが」

やや間があいた後、まだだ、と短い答えが返ってきた。店員から、イブ当日には無理かもしれませんと告げられながらも手配をしたが、予想通り間に合わなかったらしい。

手渡せないことは仕方がないとしても、当日に手元へ届けることすらままならないのはなんとも情けない気持ちになる。

「それはすまなかったな」

素っ気のない三成の「気にするな」は、本当にどうでもいいのか気を遣ってくれているのか、後者であればいいがと兼続は思う。

「来年は一緒に過ごそう」

だが、同意の返答は束の間の沈黙のあと。必ず、と付け加えてもう一度自分の不備を詫びても、三成の反応はすぐに返ってはこない。

やはり特別な日のこの状況が、彼の口をいつも以上に重くさせてしまっているのだろうか。流れはじめた沈黙を紛らわせようとふと上げた兼続の目の先に、天気予報の通り、はらはらと粉雪が舞い降りてきた。

と、その時。

小さく、三成が呟いた。

「雪だ……」

それは本当にとても小さなものだったけれど、兼続は聞き逃さなかった。

確かに今、三成は雪だと言った。先ほどのニュースでは東京は今日はずっと晴天続きのはずである、もし予報が外れたとしても、突然雪になるなどあるわけがない。

それならば、考えられることは、ただ一つ。

「三成」

深呼吸をして、一言。

「すぐ行く。待っていてくれ」

電話向こうの抑止を振り切って通話を終え、兼続は勢いよくエンジンをかけた。間髪入れず入れず待ち受けが光ったが、そんなものには構わない。


時計の針は、20時半を指している。

新潟発東京着の上越新幹線、終電までなら1時間、始発まででも10時間。限られた僅かな刻と三成の想いを寸分たりとも無駄にしないように兼続はハンドルを握りしめ、強くアクセルを踏んだ。



2007.12.18

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