『研修』(東京湾臨海署安積班:桜井×黒木、青山)



どうしたものか。

榊原課長から依頼を受けたとき、安積剛志の頭にまず浮かんだ単語はこれだった。


本庁には科学捜査研究所という組織がある。その名のとおり、捜査に科学知識を盛り込んで証拠品の鑑定などを行うところだ。そこに、近年、関係者の中で「ST」と通称されている「科学特捜班」という部署が新設された。その道の専門家ばかりを集め、実際に何件かの難事件を解決して成果を挙げているらしい。

安積も以前、その一人、青山翔という文書鑑定とプロファイリングを専門とする捜査官と捜査を共にしたことがあった。類いまれなる美貌を持った青山は、お世辞にもやる気があるとは言えない態度で聞き込みや捜査会議に参加しており、安積の部下であり杓子定規な性格の村雨秋彦巡査部長と、当時まだ本庁に所属していた相楽啓の神経を逆撫でしていた。だが、彼が捜査の過程で行ったプロファイリングは死体発見当時は不明だった被害者の身元を明らかにし、犯人像を明確にして事件を解決へと導いてくれたことも事実である。課長の話ぶりからすると、あのときの活躍が本庁のお偉方に好評だったらしく、今度は所轄へ一週間の研修を、しかも、最近安積班に配属になった元鑑識で巡査部長の水野真帆と交換研修をさせようということになったそうだ。

当初は、元本庁勤務の相楽が現在長を務めている、ここ東京湾臨海署刑事課強行犯第二係のほうがSTの研修先に適しているだろうという話だった。相楽自身も了解しており、安積も異論を挟まなかった。にもかかわらず研修直前で安積の在籍している第一係に変更されたのは、来る人間が青山だと知った相楽が態度を変え始めたからだ。

「こちらから出向くのは一係の水野女史ですし」だの「安積班は皆優秀ですから」だの「青山君も一度組んだことのある安積さんのところに来るほうが安心でしょう」だのとずらずら意見を並べていたが、何のことはない、青山の人柄が苦手で面倒だからこちらに押し付けたのだ。

渋顔の安積を見て大丈夫かねと心配そうに問いかけてくれた課長には検討しますとだけ答えて、安積は刑事部屋に戻った。


部屋に到着した安積は、すぐに村雨、水野、そしてもう一人の部長刑事である須田三郎を呼んで交換研修の話をした。水野の研修に関しては「科学捜査に触れてより自身の得意分野を伸ばすように」という署長の言葉があるため決定事項だが、青山の受け入れに関しては課長も検討してよいと言っていることも包み隠さず伝えた。

安積はてっきり、前回のことを思うと、いい加減な人間を何よりも嫌う村雨が青山の来訪に難色を示すのではないかと思っていた。しかし意外なことに村雨から出てきた言葉は、「是非行きたい」と研修に意欲を示した水野と同様、かなり肯定的だった。

「これからは科学捜査もクローズアップされるはずですから、今のうちにそういう部署の人間に触れるのは有益ですね。青山さんは捜査官としては優秀ですし、黒木にも桜井にもいい経験になりますよ」

安積はほっと胸を撫で下ろした。頭は固いが村雨の判断は冷静で頼りになる。歓迎するつもりならなおさらだ。「捜査官としては」のところで心持ち語気を強めたように感じたが、それは聞き流すことにした。同じく青山を知っている須田はというと、この上なく真剣極まりない顔をして村雨の意見に頷いていた。「村チョウの意見に深く同意している」という表明をしているところらしい。今は難しい顔をしている須田だが、以前青山と帳場で一緒になったときは現場を茶化したような青山の態度に目を剥いた村雨と違ってその言動をかなり面白がっていたから問題なさそうだ。

三人の意見が色よいものだったので、さっそく安積は課長に受け入れ了解の連絡をし、残りの二人、安積班若手の黒木和也巡査長と桜井太一郎巡査にも交換研修のことを伝えた。

黒木も桜井も以前の捜査のことを須田と村雨それぞれから聞いているようだし、この二人なら表面からではわかりにくい彼の本質を見抜いてうまくやっていけるだろう。青山は人間性に多少癖はあるが捜査官としては本当に優秀なのだから、双方ともに実りある交換研修になるに違いない。

話が来た直後は面倒なことになるのではという懸念があったが、それが杞憂に終わりそうなことに安積は深く安堵した。逆にプロファイルの専門家である青山が自分たちのチームをどのように評価してくれるだろうかと、研修の日が楽しみにさえなるほど余裕があった。


研修開始の、翌日までは。


正確には青山が来て2日めの昼休み、それは起こった。

12時にさしかかるや否や、黒木が無言で席を立ち、かなり足早に刑事部屋から出て行ってしまったのだ。

驚いて、安積は出口の方向を見た。暇も告げずに昼食に出る黒木を見るのは初めてだ。

昼休みは12時から始まる。正時きっちりに席を立ったとしても暇を告げなかったとしても、規則違反ではない。だが、場合によって前倒しをすることはあっても、たいていは昼が過ぎてから状況を見て席を立つ、もしくは声をかけあって出前をとる、交代で行くといった具合で時間きっちりに出る人間はまずいない。人一倍規律を重んじる黒木ならなおさら、午後に急ぎの案件があるわけでもないのに率先して昼飯に行くなどあり得ない。少なくとも、安積の知る限り須田に無断で部屋を出たことはなかったはずだ。

他のメンバーを見ると、村雨は眉間に軽く皺を寄せていて、須田は誰よりも何よりも辛く悲し気な顔をしている。桜井はすべてのことを目に入れないようにしているようだった。

「珍しいな」

安積のつぶやきが合図になったかのように、須田が席を立った。困った挙句の愛想笑いといった表情をしている。

「黒木のやつ、急ぎの用事でもあったんですかね」

自分にも訳が分からないと言いたげにとってつけたようなフォローをしながら、よたよたと、しかしいつもより急ぎ気味で部屋を出る姿は、明らかに慌てた様子で黒木の後を追っていた。

「どうしたんだ、あの二人は」

「お腹空いてるんじゃない?」

無言の村雨と桜井に代わって、安積の隣に臨時の席を与えられた青山がのんびりと言う。

「ぼくもお昼行くね」

すっと立ち上がると、青山はマイペースな足取りで刑事部屋から出て行った。


安積が未だ不思議そうな顔をする中、青山が閉めた扉をしばらく見つめて十分すぎるほど間を置いた後、さらに逡巡してから村雨が、重そうに口を開いた。

「実は黒木が、相当ストレスを感じてるみたいなんです」

「ストレス?」

「はい。青山さんの机に」

言われて、安積はそういえばと思い出した。

以前捜査を共にしたとき、捜査本部に設置された青山の机の上は乱雑の極みを尽くしていた。

そして今回も、分量があるわけでもないのに書類やら筆記用具やらがものすごいことになっている。それもよく見るとただの乱雑ではない。1枚として、1本として、同じ方向に物が向いていないという、ある意味丁寧な乱雑だ。

「青山さんにも理由があるっていうのは黒木も承知してるんですが……」

実はすでに1日目にして、几帳面な黒木は根を上げていたらしいのだ。いわく、目に付いてしまうと気になって仕方がない。でも事情が事情なだけにこちらで整理することもできないし立場上注意することもできないしでかなり参っている、と。はっきり嫌悪を口にしたわけではないが、婉曲な物言いの中に明らかな苦痛が見えたという。

須田にしてみれば滅多に感情に左右されない黒木がはたからみて気が付くほど辛そうにしていることに緊急性を感じ村雨に助けを求めた、というわけだ。村雨がその話を聞いたのは昨日の夜だという。

「須田は、研修が終わるまで別部署の応援という名目で黒木に外回りか何かを命じたほうがいいのではと言っています」

私も須田の意見に賛成です。村雨は自分の意見も付け加えて話を締めくくった。

「そうだな……」

もしかしたら、村雨自身もできれば他部署に行きたいのかもしれない。そんなことを考えつつめちゃくちゃな青山の机と塵一つなく整頓されている黒木の机とを眺めながら、安積は心配と解決策を頭に巡らせ始めた。




後ろから近づく聞きなれた足音と呼び声に、黒木は瞬時に我に返って歩を止めた。振り向いた先には息を切らせながらこちらに向かってきている須田がいた。慌てて体ごと後ろを向き、小走りに須田へと近づく。

「すみません」

頭を下げた黒木の姿に、須田が悲しそうな顔をしたまま首を振る。

「謝ることないよ。確かにすごい散らかりっぷりだし」

「いえ、自分の我慢が足りませんでした」

「そんなことないって……」

慰めを含んだ優しい声はいつもの須田によくあるその場にふさわしい演技ではなく、困っている後輩を相棒として思いやってくれているものだ。

「ハンチョウに頼んで、青山さんがいる間はほかの部署の応援に行くってのもありだと思う。村チョウも心配してるし、相談にのってくれるはずだよ」

須田の提案に、黒木はまた目線を下にした。

通常であれば、一週間くらい我慢しろと頭からどやされてもおかしくない状況である。けれど安積係長なら、いち部下のこんな些細な悩みでもきちんと受け止めてそれなりの対処をしてくれるだろう。須田と村雨の援護もあるなら尚更だ。本当に、自分は恵まれた環境にいると黒木は思う。そしてありがたいからこそ、なおさら彼らの手をわずらわせるのは避けたかった。

「大丈夫です。自分で何とかします」

「きつかったらすぐ言えよ。お前、真面目すぎるから」

提案を辞退した黒木に須田がさらに心配そうな顔をした直後、携帯の振動音が響いた。

「はい須田……ええ、いますけど」

相手はどうやら安積らしかった。通話を始めた須田は、最初はいつも通りの顔で受け応えをしていたがそのうち眉間に皺を寄せたり深く頷いたりしながら、最終的には「わかりました」と言って通話を終えた。

「黒木、これから現場に直行するぞ」

急な指示に黒木が面食らっていると須田は難しそうな顔を崩さないで続けた。

「青海駅近くの飲食店付近で連続放火があったろ? その聞き込みに合流だ」

それは黒木も知っている。だが、連続というよりまだ二件あっただけで、両方ともぼや程度で済んでいるから現時点でできることはほとんど終わっているはずだ。なによりそれは第二係の案件であり第一係は何のかかわりもない。

黙ったままの黒木に、須田はわざとらしい派手なため息をつく。

「上からの指示には逆らえないよ。ほら、行こう」

それはさも、面倒でつまらない仕事を押し付けられたような人そのものだったが、それが表向きのポーズなのは丸わかりだった。黒木が、少なくとも今日、刑事部屋に戻らなくて済んだことに引け目を感じないようにという須田なりの気遣いなのだ。見る人が見れば滑稽な芝居だけれど、黒木は須田の気持ちを十分理解していた。十分理解した上だから、余計に己が許せなかった。



夜、寮の部屋で一人、黒木は寝返りをうっては目を開きを繰り返していた。

何度も動いては気休めのように時計を確認し、針の遅い進み具合にため息をついて再び目をつぶる。しばらくしてまた寝返りをうち、目を開いてまた時計を確認する。こんなに眠れない夜は久し振りだった。高校時代、中距離走のタイムが伸び悩んでいた時期の記録会前でさえ、ここまでひどい状態ではなかった。体を休めないといけないと頭で理解していながら、目を閉じると嫌なことばかりを思い出してしまう。

一時の感情で須田を困らせてしまったこと。村雨にまで気を揉ませていること。席にいた係長も桜井もいい気持ちではなかっただろうこと。元凶とはいえ、仮にも本庁からの客人である青山に対して非常に失礼な態度をとったこと。警察学校を終えたばかりの新米でもあるまいに、状況変化に対して臨機応変に立ち振る舞えないなど、刑事として情けないにもほどがある。

そして、眠れない理由はもう一つあった。

今日は刑事部屋に荷物を取りに戻ったあとすぐ寮に帰ってきてしまったのだが、夜中前、入浴ついでに黒木の部屋に立ち寄った桜井から非常に憂鬱な話を聞いてしまった。

「青山さん、研修最終日に当直だそうですよ」

普段できないことを余すところなく経験しておくようにという本庁からの伝言付きで、今日の夕方、急遽スケジュールに加わったという。

青山の研修最終日。今週の金曜。それは、黒木の当直日でもあった。

「当直、代わりますよ」

たいした負担でもないですし、桜井はそう言ってくれたが、後輩にまで迷惑をかけてしまうという状況そのものが黒木にとって耐えられなかった。

申し出はありがたいけどと感謝しつつ交代は不要な旨を伝えると、桜井は表情に憂いを浮かべて「いつでも交代しますから」と告げたあとわずかに間を置いてから、今週はお互い体力温存ですかねと冗談めかして笑い、いつもとは違って室内に上がらずに自分の部屋に戻っていった。


暗い部屋の中で天井を見つめながら黒木は、こんなに気が滅入るなら一人で過ごさずに桜井を引き止めればよかったかなとふと考える。同時に、そう思ってしまうほど弱っていることに気が付いて、何度目かになる重い溜め息を漏らしながら枕に突っ伏した。

青山の研修終了まであと3日、その間、自分を保っていられるのだろうか……。

眉間の皺を深めながら深く寝入ることなどできるはずもなく、うつらうつらが精一杯で黒木は朝を迎えてしまった。




結局、青山の研修期間中、黒木は須田と村雨に何だかんだと理由をつけられて朝から外に出されていた。青山が帰宅したあと、つまり定時すぎに刑事部屋に戻りそれから内勤の仕事を始めて深夜寮に帰る生活は、帳場に参加しているときと同じくらい体力を消耗した。反面、疲れることで風呂に入ったあとはすぐに眠ることができたため睡眠不足にはならずに済んだ。自分に割り当てられていた分の青山の研修補佐を須田チョウと村チョウ、桜井がそれぞれ肩代わりしてくれたことへの負い目は常にあったが、申し訳ないと思いつつ精神の安定と引き換えにはできなかった。


そんな中で迎えた最終日は、朝から雨が降っていてなんとなく湿度の高い日だった。


前日まで気にしないでくださいと言い続けて、それでも日付が変わるぎりぎりまで刑事部屋に居てくれた須田が寮に帰った途端、青山が口を開いた。

「黒木さんって桜井さんの先輩だよね」

「そうです」

問いかけられて反射的に顔を上げてしまい視界に入った机の汚さについ眉を寄せてしまったが、向こうも敬語ではないからと黒木は気にしないことにした。青山も、それならさー、と、親しげな口調で前置きをしたところを見るとこちらの態度に気分を害してはいないらしい。

「桜井さんにさ、村雨さんの話、全部ちゃんと聞いたほうがいいよって言ってあげて。気持ちはわかるけど、ときどき耳ふさいでるのそのうちばれちゃうよ」

黒木の不信を含んだ驚きを察して、青山がその真顔に笑う。

「ほんとだよ。必要なとこはびっくりするくらい全身全霊で吸収しようとしてる反面、小言のときは聞いてるフリしてる。ついでに言うと、桜井さんは相当計算高いね。自分はこう見られたほうがいいって常に考えてて本心見せないの。周囲との摩擦を避けてるっていう表現のほうが的確かな。そういう振る舞い自体は悪いことじゃないけど、黒木さんみたいな存在の人にまで本音を隠すような態度はよくないと思うんだよね、僕」

最後の一文の意味が掴めずにいると、あっけらかんと青山は言った。

「寝てるんでしょ、黒木さん。桜井さんと」

直球ならぬ剛速球への返答に詰まった黒木を見た青山は、何故か楽しげな笑顔を見せた。

「あ、そうか、黒木さんとしてはお互い単なるセクフレって認識しかないか」

さらに単刀直入でより下品な言い回しになっても見目がいいとそうは聞こえないから不思議だ。

間違いではないがそれにしたって言い方があるだろうと、口を開きかけた黒木に気づいているのかいないのか、青山はどこ吹く風で言葉を続ける。

「黒木さんがそう感じるのは桜井さんがそういうように振舞ってるからなんだろうけど、あの人、本当は黒木さんと性欲処理以上の特別な関係になりたがってるよ。黒木さんを独占したいし、自分も独占されたいって感じ」

理由を言おうか、回転椅子を揺らして再び沈黙を始めた黒木のほうを向く。

「推測の根拠はいくつもあるんだけど、一番顕著だったのは2日目の昼休みに黒木さんが出て行っちゃったときかな。あのとき、原因に気づかなかった安積さんは純粋に驚いてたし、村雨さんと須田さんは知ってた上ですごく心配してたんだけど、桜井さんは場違いなほど「冷静」だったんだよね。ああいうとき「冷静」でいるのって、自分だけはここにいるメンバーと違うっていう優越と誇示の現れなんだよ。黒木さんの性格を深く理解してる自分はあんな行動くらい予測できたから驚かない、個人的な付き合いがあるからこの場では心配する必要もないっていう。あとさ、黒木さんて「桜井も心配してたぞ」なんて聞いたら後輩に心配されたってことすごく気にするタイプじゃない? それもあるから、桜井さんはあの場ではあえて無関心でいてあげたんだと思う。体だけの関係って割り切ってる相手にそんな細かい配慮なんかしないよ」

流れるような説明に感心と懐疑と不可解の眼差しをしている黒木に、ひと息ついた青山は内心を見透かしたような、それでいて屈託のない表情を浮かべた。

「まあ、僕が示すのはあくまで可能性だから」

くるりと椅子を一回転させ、黒木に正面を向けた位置で止まる。

「証拠集めは刑事さんの仕事でしょ?」

そう言って、青山は丹精な顔でにっこりと笑った。



当直明けの土曜、風呂から戻り仕事支度をしている黒木の背後で小さくノックの音が響いた。いつものようにまずドアスコープを覗いてから鍵をあけると、手をかける前にノブが回って向こうからドアを開けてきた。

「飲みませんか?」

桜井が掲げたビニール袋には、昼過ぎにしては少し多めな本数のビールと数種類の乾きものが入っていた。


黒木の前を通り抜けて部屋に上がった桜井は、お疲れさまでしたとか最終日青山さんとどうでした? と聞きながら、手慣れた様子でビールとつまみを机に並べる。

「村チョウがだいぶ心配して同情してましたよ。村チョウも几帳面だから青山さん苦手みたいで。この一週間は黒木さんと青山さんの話ばっかりでした」

ほんとに毎日ですよ、付け加えて桜井は、ビールを黒木に手渡し自分も手に取ってプルタブを開けた。一息にあおって、ぷはー、と息を吐く。

「昼間のビールはききますよねー!」

目が合ってもいつもの通り、さして気にも留めず照れもせず、まだ栓も開けていない黒木の手元を見て飲まないんですか? と聞き返すだけだ。

「そういえば今日村雨さんが言ってたんですけど、この間 ―― 」

そうして、いつもの話題が始まる。


証拠集めは刑事さんの仕事でしょ?

ふいに、青山の整った笑顔が蘇った。


目の前で普段と変わりなく延々村雨の話をしている桜井を見ると、やっぱり青山のプロファイルは間違いなんじゃないかと黒木は思う。それとも、青山の言うように証拠をちゃんと集めたら、青山の示した可能性を裏付けることができるのだろうか。


「どうしたんですか?」

黙ったままの黒木に、ようやく桜井が不思議そうな顔を向けた。

買ってきてくれた缶ビールを開けながら、なんでもないと返して、黒木は再び始まった桜井の話に耳を傾けた。



週明けの朝、黒木が安積の席の前に来るなり深々と頭を下げた。

「ご迷惑をおかけしました」

続いて村雨にも侘びていたが、おそらく気持ちがわかるからだろう、村雨はあまり気にするなという言葉を返していた。

「それにしてもさ、あんなに机が乱雑で、STの人たちは気にならないのかなあ」

須田の何気ない疑問に、研修から戻ってきた水野が思い出したようにくすくすと笑った。

「みんな、それぞれに背を向けてるのよ」

「背を向けてるって……全員後ろ向き?」

「そう。壁に向かって机があるの。でも、すごくまとまってる感があって不思議な部署だったわよ」

須田くんも行ってきたら? 水野の冗談混じりの軽い提案に須田が同じような調子で応えた。

「じゃあ黒木と一緒に行ってくるかな。壁向いてるなら青山さんの机も目に入らないだろうし」

「勘弁してください」

珍しく、黒木が少しだけくだけた口調で言う。

「ですが、現場でならご一緒してみたいです」

須田の、え、という意外そうな声に続き、安積は思わず村雨を見た。村雨も、少し驚いた様子で安積のほうに顔を上げている。

最終日に何があったのか詳しく聞きたい気持ちをこらえ、代わりに安積は、もし今後STの協力を得たい事件があれば課長に願い出るのも手かもしれないな、と告げた。

「よろしくお願いします」

黒木特有の、生真面目な眼差しと折り目正しい応答が返ってくる。

仕事に戻ったいつもどおりの表情からは先ほどの発言の真意は推測できないが、おそらく青山が優れた捜査官としての能力を垣間見せた瞬間があったに違いない。少なくとも、黒木の中の青山の評価が変わったことに間違いはなさそうだ。


戻した視線の先、安積のパソコンのデスクトップ画面にはタイトルが「科学捜査研究所科学特捜班交換研修報告書」という書類が開かれている。

すでに大半が文字で埋め尽くされた報告書の末尾、「次の研修については」の後にカーソルを合わせた安積は、先週の金曜日帰宅前に書いた「双方の状況を見て検討したい」という一文を、「可能な限り実現を希望する」に書き換えた。



2010.2.19


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青山は何でもお見通しです。

プロファイル部分は適当です。

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