『展望』(東京湾臨海署安積班:桜井×黒木)




二つの携帯の着信音が鳴ったのはお互い本格的な睡眠に入ろうとしてから30分も経っていない頃だったが、黒木和也と桜井太一郎は瞬時に目を覚ましてそれぞれの携帯を手に通話を開始した。黒木の相手は須田三郎部長刑事、桜井の相手は村雨秋彦部長刑事。内容は両方とも「不審火に関する通報あり」。同じ事件の呼び出しだ。

かつて東京湾臨海署がお台場に新設されたばかりで「ベイエリア分署」と呼ばれていた頃、真夜中の通報は少なかった。しかしここ最近は、夜遅くまで運営している施設の影響か、夜中に携帯が鳴る日は確実に多くなっている。

新しい娯楽施設ができてからこっち、刑事課の呼び出しは増える一方だ。お台場にオープンしたばかりのショッピングモールが現場だという村雨の説明を聞きながら桜井はそう思った。以前と違って、今は強行犯係が二つもあるというのに。

「わかりました。すぐ向かいます」

桜井が電話を切って顔を上げたとき、同時に通話を終えたはずの黒木はすでに持ち物を確認する段に入っていた。一切無駄のない動きで、警察手帳などの携帯品をスーツの内側にしまい込んでいく。

相変わらずの身ごなしに感嘆しつつ桜井は、自身も遅れをとるまいとワイシャツのボタンを留めズボンに手をかける反面、準備をすべて終え現場へと意識を向けている様子の黒木のその背中に、先に行かれてしまうんだろうなあと心のなかで溜息をついた。


本音を言うと、一緒に行きたい、わずかでも傍に居たい。けれど捜査を行う警察官としては、事件解決に向けて現場にいち早く駆けつけることが最も優先されるべき事項である。増して黒木は超がつくほど真面目な刑事だ。待っていてくださいなんて言えないし、言いたくても言いたくない。


次に二人きりで会えるのはいつになるのかと、桜井が頭を先々のことを憂い始めた矢先。

突然、黒木が桜井のほうを振り向いた。

急に目が合って動揺した様子を気に留めるふうもなく近づいてきた黒木は、床に投げ出されていたネクタイにすっと手を伸ばす。

「ほら」

拾い上げたそれを桜井の首にひょいとかけると、あっけにとられた桜井をそのままに踵を返して戸口へ戻り、何事もなかったかのように靴を履き始めた。

「ありがとうございます」

辛うじて我に返り、慌てて礼を言った桜井が手早くネクタイを結びスーツの上着を羽織るその間も黒木は、靴を履き終えたにもかかわらず外に出る素振りがない。それどころか、ドアを半開きにしたまま桜井の出発準備が完全に整うのを、急かすでもなく責めるでもなく黙って待ってくれている。

その、まるで一緒に行くのが当然のような所作に桜井は、これから現場であるということを一瞬だけ忘れそうになってしまった。

おそらく、黒木に他意はない。ネクタイをとってくれたのは自分の支度が遅かったからだろうし、戸口で待っているのは同じ目的地に向かうのにばらばらで行動することもないという単純な考えに基づいているだろうことは、理解している。しかしそれは裏を返せば、少なくとも仲間としてはきちんと認めてもらえてるということだ。甘い感情からほど遠いことは残念ではあるけれど、それでも十分、嬉しい。

「公園突っ切っれば半前には現着できますね」

腕時計を確認しながらきびきびと言葉を発した桜井に、黒木が頷く。

該当のショッピングモールは、新交通ゆりかもめの台場駅とりんかい線東京テレポート駅の中間に位置している。道沿いに歩いてもここから20分程度しかかからない。直線距離を行けば10分以内には到着できるだろう。

元中距離走の選手だった黒木の足について行くのは、歳が若い桜井でもかなりきつい。けれど今夜は、なるべく肩を並べて走ろうと桜井は思った。


一分でも一秒でも。この人と共に、在りたいから。



2013.5.30


----

お読みくださりありがとうございました!

今月(2013年5月発行の6月号)のランティエ、『カデンツァ』の話です。なお原作では「ショッピングセンター」になっていましたが、安積さん視点だからだろうと解釈し(係長すみません)、この話では桜井視点として、おそらくモデルだろう施設のウェブサイトにあった「ショッピングモール」という呼称にしました。

桜井が思ってるほど黒木は桜井のことをないがしろにしてないよ、ということを書きたかったのです。

inserted by FC2 system