『梅の花』(凌母子、甘寧)




風は少し冷たいが、日差しに心持ち春の訪れが見える、晩冬のある日。一枝の梅を手に、凌統は病床の母親のもとへ向かっていた。


凌統の母親が病の床に伏してから、もう随分になる。もともと体の弱い母は、凌統が幼い頃から寝込んでは治りという浮き沈みを繰り返していたが、夫である凌操が亡くなってからは目に見えて衰えが進み、ここ数年は伏せるごとに寝込むほうの時間がだんだんと長くなっていた。


先ほど通りかかった梅園で庭師から貰った早咲きのその梅は、小さな白い花から甘い香りを周りに放ち、すれ違う者を振り向かせその顔をほころばせる。けれど花を持ってる凌統の顔は微笑みにはほど遠く、母親のもとへ行くというのに険しい顔をしている。


もう覚悟をしてくださいと、医師から言われたのはつい昨日。ようやく遠方での長い戦が終わり、しばらく母の傍に居られると思っていた矢先の宣告だった。

「実を申しますと、戦の最中に何度も凌将軍を呼ぶ早馬の手配をしました」

あとどれくらい保つのかと、医師に聞いた返答はこれだった。

「しかし、いざ出発となると意識を戻され、戦の邪魔はしないでおくれとお止めになるのです。その繰り返しでしたよ」

そう言って、医師はそのときの光景を思い出したのか、わずかに目元を拭った。


母の房に着いて世話役の女官に様子を問うと、ちょうど目を覚まされたところだと言われた。ねぎらいの言葉をかけてから花を挿す器を持ってくるように頼むと、彼女もまた、医師と同じようにそっと目元を拭いながら向こうへ下がっていった。その姿に、凌統は喉のつかえを解こうといつもより長く深呼吸をする。

ゆっくりと戸を開けて中を伺う。寝台の前の簾は下がったままだった。驚かせようと思って名も告げずにそっと近づいたが、凌統が簾に手をかけるよりも、お帰り、統、という声のほうが早かった。

「また私の負けですね」

戦のあとは、いつもそっと入ってきて驚かせようとするのだが、いつも失敗する。悔しそうな息子の顔に、まだ統には負けないわよ、と母が微笑んだ。

「ただいま戻りました、母上」

起き上がろうとした母を制して、梅の枝を傍らの台に置く。拳に手を添え頭を垂れ、凌統は君主にするように帰還の挨拶をした。実の親子の間で仰々しいと周りに言われたこともあったが、戦の間家を護っている母へ感謝しなくてはいけないという父の教えに従い、戦から帰ったときは必ず最敬礼をしている。

「今度もよく無事で。本当に、良かった」

幼い頃から変わらない優しい笑顔、この顔を見ると戦が終わったことを改めて実感する。


父が死んだ日も、母は、気丈にもまずは自分の無事をねぎらってくれた。必ず仇を討ちますと、涙ながらに訃報を伝える息子の肩を優しく撫で、これからは部下を大切にし、凌家の総督として父様を越える武将になるのですよと、最愛の夫を奪った戦への恨み言を一つも言わず、己の悲しみを胸に秘めて励ましてくれた。


どんな時も、父の分まで自分を温かく見守ってくれた、母。……次の戦が終わる頃にはこの笑顔に会えないのかも知れない。いつもと変わらず息子の無事を喜び戦の様子を問う母の姿に涙が出そうになり、慌てて凌統は梅の花を掴むと母に手渡した。

「まあ、こんな、見事な梅」

ふわりと香る梅の花、母は目を閉じて白い花弁に顔を近づける。そのひどく嬉しそうな様子に、手ぶらで来なくて本当によかったと凌統は思い、途中で声を掛けてくれた庭師に心の中で感謝した。

女官が持ってきた器に梅の花を挿して枕元に置くと、部屋が華やいだといって、また母は喜んだ。


しばらく、二人で他愛のない話をした。合戦の武勲に始まり、城内や殿の様子、日々の鍛錬のこと、仲間とのやり取り……。一つの話が終わるたびに、母親は何度も頷いて微笑む。それはまるで、息子の言葉一つひとつを胸に刻んでいるようだった。

そして、ひとしきり話が済んだ後。母は、じっと凌統の顔を見ると、にっこり笑って唐突にこう言った。

「お前、いい人ができたのね」

「……え?」

その言葉に一瞬呆けたあと何を思い出したのか急に慌てて否定をする息子に、父様に似てお前は嘘が下手だからわかりますよ、と、穏やかな笑みを浮かべる。

「父様が亡くなってからのお前は、口を開けば仇を討つの一点張りで……私はとても心配していたのですよ。……でも、今日のお前の様子を見て安心しました」

前々から思っていたけど、そう言って、深く息をついて目を閉じる。

「お前の支えになってくれる人が現れたのなら、心残りはありません」

梅の花びらが一枚、ひらりと母の枕元へ落ちる。

「それが、たとえ誰であっても、ですよ」

再び目を開いて真っ直ぐに凌統を見る眼差しは、愛する息子のすべてを見透かして受け入れた、深く、優しいものだった。

「父様も、許してくださるはずです」

母の言わんとする意味を知り、何も言えずにただただ唇を噛んで涙を堪えている息子の手を取り、包むように握る。

母の手はいつの間にこんなに小さくなったのだろう、握られたそのはかなさと暖かさに、凌統はまた泣きそうになる。狭くなった軌道から痛さを我慢して息を吸い、すみませんと、小さく呟くのが精一杯だった。

首を振った母の目にも、うっすらと涙が浮かんでいた。

梅の香りを乗せた風が、ふわりと母子二人を包み込む……。


凌将軍の母君が亡くなったという知らせが城内にもたらされたのは、それからほどなくしてからだった。


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数日後、梅園に足を運んだ凌統は、先日梅の枝を分けてくれた庭師に声をかけた。母の墓前に添えるために梅の花を貰おうと、先日の礼も兼ねて錦の布を手渡す。

「あの時声を掛けてくれなかったら、母は今年の梅を知らないままだった。遠慮せず受け取ってくれ」

庭師は驚き、気持ちは大変嬉しいのですが……、と言葉を濁す。その様子を問うと、しばらく何かを思い悩んだ挙げ句、決心したように凌統を見た。

「実は、甘将軍に頼まれたんです」

黙ってろと言われたんですがどうもやっぱり、と、人の良さそうな庭師は頭を掻く。

「凌将軍がここを通ったら、梅の枝を分けてくれないかと。枕元に置けるくらいの大きさで、匂いの良いものを頼むと言われまして」

だから自分は受け取るわけにいかない、それに梅ならいくらでもお渡ししますよと言いながら、庭師は枝を切るために梅園の奥へ消えていった。


「あンの野郎……」

憎まれ口を声に出してみたものの、不思議と腹は立っていなかった。吹き上げる一陣の風に促されて見上げた空は冬晴れで、父のように高く広い青と、母のように優しい日差しが凌統の上に降り注いでいた。



2005.5.8

2006.5.1(改訂)


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お読みくださりありがとうございました。

シナリオは真・三國無双4です。凌父子があるのなら凌母子があってもいいかもと思い、母の日によせて書いたものです。二次創作復帰第一号でもあります。

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