『鵲の橋』(兼続×三成)




朝からの雨で兼続がどことなく悲しげなのは、今日が七夕だからだ。

大陸より伝わる話によると、天帝の怒りによって離ればなれになった牽牛と織姫が年に一度の逢瀬を迎えるこの日に雨が降ると、二人の間を流れている天の川の水かさが増すゆえに月の船が川を渡れず、会うことができないという。

「年に一度だというのに」

昼過ぎに屋敷を訪れたときから兼続は明障子の傍に立ち、雨粒のうつる様を眺めては会いたいだろうに気の毒にと悪天候を嘆き続けている。

情をかける対象をどこまで引き上げる気なのかと呆れつつ、三成は手元の盃に手酌で酒を満たして鼻をならした。

「気の毒なものか」

兼続の問いかけ視線を感じたが、敢えてそちらは見ず酒に口をつける。

「たとえ年に一度でも永遠の逢瀬が約束されているのなら、十分に贅沢ではないか」

「それはそうだが……」

そもそもは怠惰が原因で引き裂かれたのだ、同情の余地などない。三成の切り捨てにも一応の同意は返すも、やはりその言葉尻は濁っている。


しばらく待ってみたが未だその場から離れようとしない様子に、三成はやれやれと腰を上げた。

「いいことを教えてやる」

兼続と明障子の間に立ち、雨の跡を指差す。

「雨が降る日は、天の川に鵲の橋がかかると聞いたことがある」

すいと、三成は指先で以て空中に半弧の形を描いてみせた。

「対岸で涙に暮れる様を憐れに思った鵲が、自らの体を使って橋を作り二人を渡してくれるのだそうだ」

だから雨が降っても降らなくても二人の逢瀬には関係がない。言いながら三成がくるり体の向きを変えると、感心の微笑みを浮かべている兼続と目が合った。

「三成は博識だな」

先ほどまでの憂いはどこへやら、屈託のない笑顔で称賛する兼続に単純な奴めと言いながら三成は、気取られる前にその横をすり抜けた。

「気が晴れたのなら、さっさとそこから離れろ」

背を向けたまま歩を進め、三成は元居た場所にどかりと腰をおろす。相手の盃を酒で満たすと、立ち上がらずに腕だけ伸ばしてその盃を兼続のほうへ突き出した。

「俺はそこまで酒を運ぶ気はない」

重なる目線の先が、束の間見開かれてからすぐに柔らかい眼差しに変わる。

近づき、満たされた盃を三成の手ごと受け取ると兼続は、その場でひと息に酒を飲み空けた。

空になった盃と三成の手とを離さぬままに握りしめ、上向く唇にそっと口付けてから目を伏せる。

「すまなかった」

言って、強く三成を抱き締めた。

「謝るよ」

思いがけない詫びの姿勢に急に気恥ずかしくなった三成は、ふん、とわざと素っ気のない態度をとる。

「まったく」

精一杯呆れを込めた口調で溜息をつきつつ、兼続の首に腕を回して引き寄せる。酒が回った眠たくなったという呟きに対するくすくす笑いの優しい声には聞こえないふりをして、かかる体重を受け止めながら三成は強くその身にしがみついた。


雨の日の天の川に橋がかかるのは、恋しい相手を想って泣く二人への、鵲の優しさだという。

前髪をすき撫でる兼続の指と掌の、安らぎと暖かさに身を委ねて三成は考える、天人の二人も今ごろ、優しさに包まれながら愛を交わし合っているのだろうと。

そして思う、いつか永久に別れるときがきたとしても、この人のこの温もりだけは、決して忘れないでいたいと。

幾度囁かれたか知れぬ愛の言葉と途切れぬ雨音を耳に口付けを交わし合う、今のこのひとときと共に、永遠に。



2012.10.16


----


お読みくださりありがとうございました!

七夕か三成の命日かどっちかに更新しようといろいろ思った挙句、中途半端な日になりました。

三成と兼続はこうやっていちゃいちゃしているのが好きです。お互い好き好き言い合ってるのがいいです。


時期は、このサイトの設定で、1958年の7月頃かなあという想定です。1958年は秀吉の晩年。7月は秀吉が死ぬひと月前です。二人とも(というか特に三成が)あんまりのんびりしていられない時分です。この先はどうなるのか不安もかなりあったのではと思います。でも兼続と一緒にいるときだけは安らいでいられていたらいいなという妄想です。

なお七夕伝説については諸説あり、「晴天だと鵲が橋をかけて、雨天だと増水で橋をかけられないから会えない」というものがわりと有名なようです。この話で使った設定も間違いではないようなのですが、小さいころ読んだ絵本か何かの記憶なので原典は定かではありません。ご了承ください。

inserted by FC2 system