『陰酒盃』(左近×兼続)
夕日の見える部屋で、落ちゆく陽に向かってゆっくりと杯を傾けている。
冷たい酒を飲み干して落とした溜め息は、眼前の酒面までもを揺らした。
美しすぎる夕映えに咽を震わせ、かの地に散った愛しい人の名を呟けば、
声よりも強くもう一人の名が胸中に響き、遠い紅雲が霞のように揺れる。
目線を落とし、戦場で彼の人を護った傷跡に、這わせた指を見てみれば、
固い肌と腕節の名残と、時折見せる優しい笑顔が、ふいに浮かんできた。
あの腕に最後に抱かれたのはいつだったろう。
ぼんやりと、兼続はその指の先を眺めてみる。
最後に彼の人と肌を重ねた日の何もかもは鮮明に覚えているのだけれど、
その前だったのか後だったのかさえも、すでに思い起こす事ができない。
意識して忘れようとしたわけでもないのに記憶がこんなにも朧げなのは、
所詮自分たちは、その程度の繋がりだったという揺るぎない証拠なのだ。
再び揺れた陰酒盃の、波打つ朱面を見つめて兼続はゆっくり目を伏せる。
瞼の裏が熱いのは失った者への悲しみだと、強く己に言い聞かせながら。
2006.9.15
# 2012.9.15 修正
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関ヶ原なので、左近を想う兼続です。
旧サイトからの移行に伴い、字数をさらに揃えました。