『杜鵑草』(兼続×三成)




慶長三年、葉月某日、某刻。

豊臣秀吉、伏見城にて逝去。



濃霧立ち籠める暗闇の中に一面、薄紫の草花が、ほわりと浮かんでいる。

特徴ある蕊と花弁の班には見覚えがあるのに、肝心の名を思い出せない。


「兼続」


喉の先まで花の名が出かかったとき、背後から聞き慣れた声に呼ばれた。

だが己の予想に反し、振り向いた先に飛び込んで来たのは、脇差の刃口。


「兼続!」


叫びに似た三成の声が、振り上げた凶器と共に兼続へ降り掛かってくる。

目の端に映り込んだ薄紫の班弁が、風もないのに震えて揺れ動いていた。




ふっと意識が戻った途端、兼続は思わず辺りを見回した。


眼前に広がるのは、枕元の燭台に照らされた伏見・石田邸の屋敷の天井。首を曲げた先には、兼続の腕を枕に寝息を立てる三成が居る。


それは上洛の一夜の、いつもの空気に囲まれた見慣れた光景。

唯一「常」と違うのは、隣に居る三成の目元に、ここ数日で刻まれた深い嘆き疲れがあることであろうか。


夢の名残を追いやりながら寝顔を見詰めていると、視線に気配を感じたのか、ぼんやりと三成が目を覚ました。

「うなされていたか、俺は」

寝起きの掠れた声とともに、切れ長の目が何故か不安気にこちらを見詰める。

「いや」

予想外の問いかけに短く答えて寝乱れた前髪を梳いてやると、籠った熱の湿り気が伝わってきた。

「夢を、見たのだ」

髪から頬に下りてきた手に指を添え、三成が溜め息のように呟く。

「濃霧の暗闇で、お前を殺せば秀吉様がお戻りになると言われた」


背徳への誘いの声は強く、幾度も迷いを断ち払おうとしたのだけれど。

いつの間にか手に重厚な脇差を握りしめて、お前の背後に立っていた。


「それで、俺は……」

そこまで言って三成は小さく顔を顰めた途端、兼続の手を己の頬に強く沿え、苦し気にきつく眉を寄せて目を閉じた。


「……そうか」

俯けた三成の頭を優しく撫でながら、兼続は華奢な体を引き寄せる。

振り向いたあと自分は目が覚めてしまったから分からないが、震える彼の手の平には刃が肉と骨を切り裂く感触が今も生々しく残っているのかもしれない。

「三成」

呼んでも顔を上げてくれないのは、たぶん彼なりの購いなのだろう。

それでも兼続は今一度名を呼んで、三成の顔を無理矢理に覗き込む。

「この次は、微塵もためらわずに刺してしまえ」

微笑む兼続が映る三成の眼が、束の間動きを止めてからゆっくりと瞬いた。

「夢の内でまで、苦しむこともあるまい」

抱き締めた腕の中の答えを待たず、見上げるその唇を塞ぐ。

「お前のためなら、命などいくらでもくれてやる」

見る間に歪む顔から涙が落ちる前に兼続は、細く耳に届いた償いの言葉ごと、三成を強く胸に埋めた。



目を閉じた兼続の脳裏に、濃霧の暗闇と薄紫の花が再び浮かんで揺れている。

そうしてようやく思い出す、そこに佇む細く可憐な、斑花弁を持つ花の名を。



密かな意志を秘めた花。

三成の想いを映した花。



その花の名は、杜鵑草。



2007.7.8


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杜鵑草の花言葉、「秘めたる意志」に心惹かれて書いた話です。

三成は、何よりもかによりも秀吉が大事だといいです。


秀吉の葬式は、半島から兵士を無事撤退させるため、密葬にされたそうです。兼続がその葬儀に参列したかどうか私は知らないのですが、陪臣なのに形見の品を貰っているので、ひょっとしたら参列したのではないかと妄想しています。

この頃の三成は、戦の後始末やら秀吉の身辺整理やらでものすごく大変だったんだろうなーと思うと、戦国無双2の秀吉外伝、関ヶ原における三成の言葉が重く感じられます。

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