『花菖蒲』(兼続×三成)



長崎から書状が届いたという知らせを三成が受けたのは三月、春だというのに冷たい風の吹いた寒い朝だった。

短くねぎらいの言葉をかけて受け取った粗末な紙を、下がらせた家臣の気配が消えるのを待ってから、無表情にゆっくりと開封する。

「………」

字面をいくら眺めても涙ひとつ出せない自分に、そっと苦笑を漏らす。書状を引き裂いてしまいたい衝動に駆られながらのろのろと立ち上がり、三成は城へ向かう準備を始めた。



気温も上がり、だいぶ夏らしくなってきた五月の伏見。翌月に控えている景勝公上洛の前準備として一足早く到着した兼続が、三成の屋敷を訪れた。


型通りの挨拶が済んで家の者が下がるなり、伏見は暑いと言いながら兼続が着物の襟を緩めて風を入れるのは毎度のことである。いつもはそんな仕草も含めて久し振りに会う屈託のない彼の顔が嬉しいはずなのに、今回ばかりは少しも心が晴れない。それどころか、自分の抱える悩みと無縁な兼続にわずかな苛立ちすら覚え、つい、だらしがないと小言まで言ってしまった。秀吉様をはじめとするこちらの様子を聞かれても、やる気のない相づちしか打てない。


いくつかの話題が過ぎたあと、何の話をふっても短い返事しかしない三成に、兼続が心配そうな声で疲れているのかと顔を覗き込んだ。

「いろいろあったからな」

今年に入ってすぐ秀吉が自分に命じてやらせたことを知らないはずはないのに、初めて聞くような顔をする優しさも、今日に限っては鼻につく。

「……あまり無理をするなよ」

京都奉行も大変だなというねぎらいの言葉にさえ。

先の出来事に対する遠回しな嫌みを言われている気がして、三成は無言のまま冷めた茶を啜った。


「そういえば花菖蒲が見頃だったな。行かぬか」

しばらく沈黙が流れたあと、明障子に目を向けて兼続が言った。

「確かに見頃だが、ひと雨来そうだぞ」

本当は花を愛でる気分じゃないと言いたい気持ちをぐっとこらえて、面倒くさそうに三成はその提案を否定する。

事実、晴れ間の見えた朝よりも鉛雲が増え、いくぶん湿った匂いを含み始めた空気が夕立の到来を予告していた。

「笠をもてばいいだろう」

それにたまには外に出た方がいいぞと微笑んで、三成の返事を待たずに兼続が立ち上がる。確かにここふた月ばかり自分は屋敷に籠りきりだが、それを知っているような兼続の言葉に三成は、あとで左近に言う文句をいくつか頭に書き込んだ。


湿地を好む花菖蒲は、広い庭の端にある溜め池の岸に咲かせている。庭師の手入れが行き届いているらしく、花菖蒲は洗練された群れをなして池の周りを美しい藍や紫で彩っていた。

三成の言葉通り、屋敷を出たとたん顔に当たった雨粒は、池の傍に着く頃すでに本格的な降りになっていた。もういいだろうという自分の意見を無視して先を行く兼続にあからさまな溜息をつき、三成は笠から肩に滴り始めた水を払いつつ細い橋板を渡る。池から響く水音を耳にしながら対岸に降り立ち改めて花菖蒲の方を向くと、丁度屋敷と自分たちの間に濃淡入り交じった、色とりどりの藍紫と濃緑の垣根が出来るような格好になった。

剣を思わせる葉を従えながら雨粒に負けじと咲き誇る花菖蒲の、その整然と立ち生える姿に三成が目をそむけたくなった矢先。


ふいに抱き寄せられたはずみで、紐を結んでいない互いの笠が落ちた。風に煽られ地面に転がる笠に目をくれてから雨に濡れる前髪をかき上げ三成は、眉根を寄せ小さく放せと叫んで身をよじる。

そして振り向き様に兼続の、自分の内を推したような眼差しを見た途端、今まで押し込んでいた感情が一気に爆発した。

「——お前になど、わかるものか!」

荒げた声はこの距離にもかかわらず屋敷まで届いたかも知れない。それでも三成は語気を緩めず、己の不甲斐なさすべてをぶつけるように兼続に言葉を叩きつける。

「自領のことだけ考えていればよいお前に、何がわかる!」

鬼と言われ、人でなしと言われ。

胸を痛める親友にすら、何の言葉もかけてやれない。

それでも豊臣のためにすべてを甘んじて受け入れながら、政をする自分の覚悟を。

「俺の、何が……」

軌道を締め付ける嗚咽に言葉を遮られながら雨と涙に濡れた顔を俯け、雨音に混じって三成は小さな哭声を響かせていた。ずぶ濡れたまま泣き続ける姿をしばらく何も言わずに見つめていた兼続は、やがて穏やかに口を開いた。

「お前の言う通りだ」

再び体を抱き寄せ、そのまま胸に熱をもった頭を埋める。

「だから、こんなことしかしてやれぬ」

そのとき三成の髪に落ちたのは兼続の涙だったかもしれない。この雨の下ではそれは容易に判断がつかなかったけれど、静かに強まる腕の力にまた涙が溢れてくる。

無意識に背に回した腕できつくその体にすがりつき、いつしか三成は子供のように声を上げて泣いていた。


すぐに止むかと思われた雨は未だ降り続き、土を打ち池を打つその籠るような音で辺りを包み込んでいた。

降りしきる雨をも厭わず兼続は、ただただ黙って、しがみついてくる華奢な体の背をさすり優しくその頭を撫で続ける。日常と少しだけ隔絶された庭の端、せめて今このときだけでも三成の心が救われることを願いながら。


ふと上げた眼の前には、凛と咲き立ちこちらを見つめる花菖蒲。その花の意味する言葉を、兼続もよく知っている。

けれど、ただ、今だけは。愛しいこの人が、忍び耐えられぬことを許しておくれ。




 しらあめに 打たれ佇み 花菖蒲

   いまひとときは ともに嘆かぬ




2006.5.28


———


お読みくださりありがとうございました!

「花菖蒲」の花言葉のひとつである「忍耐」は、たぶん恋愛に関する「忍耐」だと思うんですが、秀吉のやり方に心を痛めつつ殿が大好きだから忍び耐えている三成という意味として使いました。「しらあめ」は「白雨(はくう、にわか雨)」のことです。本当はそんな読み方しないと思います……。

ちなみに、心を痛める親友というのは、キリシタンな小西行長のつもりです。


2012.2.17

行間を修正しました。

これ書いたの6年前か……。

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