『襖越し』(兼続×三成)




ひとつの時代が終わった、失ったものはあまりに大きすぎて、何かをしていないと津波のように押し寄せる悲しみと後悔に溺れてしまう。


大坂の陣が終わってから早三月。

兼続は連日、膨大な量の処理を取り仕切り、米沢での上杉家再建に向けて寝る間を惜しんで働いていた。

藩政の整備、江戸の仮屋敷の手配、人員の配備、田畠の検地―――急ぎであるなしの区別なく、考えられ得る業務を兼続は昼夜問わずこなしていく。あまりの仕事振りに周囲が心配し、少しは休んだらどうかと促されることもしばしばだった。しかし彼はそれを穏やかに辞退し、その口で次の指示を仰いだり報告をしたりという有様である。

端から見れば、「主家のために」身を粉にして働く姿はさぞかし立派に映っていることだろう、しかし実際は「主家にとって」最善の策をとったという事実しかない今の兼続にとって、その義にすがりつくように日々を過ごして行くしかなかっただけである。


失ったものはあまりにも大きすぎて。立ち止まると、気が狂いそうになる。


今日も相変わらず、湯から上がってすでに夜着を身につけているというのに、兼続は机上の書状に未だ筆を走らせていた。

机の上に置かれた指示を待つ書状が、今この時間に起きていたから片付くという量でないのは一目瞭然であっても。


どれほど、時が経ったろうか。

ゆらりと揺れた行灯の火に、もうそろそろ油を注そうかと顔を向けた矢先。ふっ……と明かりが消え、兼続は一瞬にして暗闇に包みこまれた。

驚いて辺りを見回してしばらく、わずかにこぼれる月明かりに目が慣れかけたとき。

衝立ての向こう、戸襖のほうから衣擦れの音が聞こえてきた。

ゆっくりと、しかし確実にこちらに近づくその音、兼続は傍らに置いてある護身用の脇止しに手をかける。

衣擦れの音は戸襖の前に到着すると、ぴたりと止んだ。

「誰だ」

するどく兼続は言った、殺気を放ち、戸襖の開く音がしたらすぐにでも刃物を突きつけようと身構える。

しかし、戸襖は開かない。

もう一度問おうと口を開いた矢先、闇の向こうの、気配が動いた。

「兼続」

その声を聞いた途端、兼続の全身に稲妻に打たれたかのような衝撃が走った。血の下がる音が聞こえ、先程の冷静な警戒心は嘘のようにかき消され、心の臓が早鐘のごとく動き始める。脇止しを握りかけた手も、みるみるうちに冷たくなってゆく。

夢でもなく、幻でもなく。関ヶ原に破れその志と命を散らした、かつての盟友の声が自分の名を呼んでいる。

「……三成」

兼続も向こうの名を呼んだ。

二度と自分の口からは出すまいと誓っていた、その、名を。


いつもは聞こえる虫の声はいっせいに止んでおり、ただ己の鼓動だけが響いていている。気が付けば、先ほど消えたはずの行灯が、いつの間にか青白い光をぼんやりと放っていた。

「……後悔している」

ようやく呼吸を整えて、兼続はあの日から心の奥底へと封じ込めた想いを絞り出した。

「上杉のためとはいえ、徳川の陣について幸村と対峙したことを……」

「過ぎたことだ、気にするな」

あまり抑揚のない、いつもと変わらぬ冷静な声が返ってきた。

「お前はお前なりの義を通した、幸村も気にしてはいない」

そうか、思わず漏れた兼続の小さな呟きに、戸襖の向こうで頷いた気配がした。

「……だから」

しばらく間を置いた後の、先ほどの落ち着いた様子とは違う心配そうな声が、兼続の胸を衝く。

「……あまり、無理をするな」

どくりと、心臓が大きく波打った。

「無理をしているお前を見ているのは、辛い」

悲し気な口調に、いつも強気で冷静だった彼が時折見せた、伏せ目がちな表情を思い出す。


そうか、今の自分は。最期まで生を諦めず、潔く死んで行った盟友を安らかに眠らせてやれないほどなのか。

何とも情けない姿だと、兼続は一人そっと苦笑する。

そしてその想いが、自分にさらに無理を強いようとする。

「それは、すまなかったな」

三成に悟られないよう静かに深く息を吸い込んでから、必要以上に穏やかな声で兼続は戸襖の向こうに言った。

「ずっと後悔をしていたが、お前に会えたことで……胸のつかえが、とれた」

違うと叫びたい心を押しとどめ、震えそうになる声を空咳で誤摩化す。

「もう、大丈夫だ」

戸襖には目を向けず、口に出すのも辛いその言葉を、三成のために。

「お前が、そばに居なくても」

言ってしまってから、兼続はきつくきつく唇を噛み締めた。


「そうか」

その声音が少し寂しそうに聴こえたのは、自分の勝手な願望であろうか。

「約束する、私はここ米沢で義の世を築いてみせる」

「わかった」

友の決心を聞いてほっとしたらしい様子に、安堵と悲しみが押し寄せる。

邪魔をしたなという呟きと同時に、ゆっくりと気配が動いた。

しばしの沈黙、やがて思い切ったような息をついた後、戸襖の向こうから声が聴こえて来た。


「生きてくれ、兼続。俺と、幸村の分まで」


刹那、青白い行灯の火が赤く身をくねらせて踊り、ぼわりと辺りが明るくなった。眩んだ目をしばたかせる、我に返ったときは戸襖の向こうを衣擦れの音が今まさに遠のいて行くところだった。

その瞬間、今まで押さえていた抗いきれぬ想いが、兼続の体からから吹き出した。

「……行くな!」

消え行く衣擦れの気配に弾かれるように立ち上がる。

「行かないでくれ!」

衝立てを倒し、愛しいその名残を追いかけようと、兼続は勢いよく戸襖に手をかける。しかしこの世のものではない力が働いているのか、戸襖はびくとも動かない。こじ開けようとしても体当たりをしても、石のように硬く冷たく兼続を拒んでいる。

それでも兼続は戸襖へ体を打ち続けた、締め付けられる咽が呼吸を乱し、涙と喘ぎを生み出そうとしても。

「三成、」

叶わぬことと分かっているのになおも求めようとする苦しみが全身を駆け巡る。血の通わなくなるほどきつく握って戸襖を叩く拳は、枯れ果てたはずの涙に濡れている。

「三成……!」

戸襖にすがり、もはや微塵も残っていないその気配を感じた兼続はその場に崩れ落ちると、声を上げて泣いた。



庭に面した縁側で、兼続はふらりと顔を見せた慶次と茶を飲んでいた。

日が天頂へ差し掛かる時分でも寝間着のままなのは今朝、戸襖の前で倒れているところを世話に来た家の者に見つかり、半ば命令に近いかたちで休みを取らされたせいである。何があったのか口々に聞かれても頑なに平静を装い、景勝公にさえ変わらぬ態度で接することができたというのに、慶次にだけは嘘がつけなかった。

何を聞かれたわけではないのに優しい眼差しを向けられると、昨晩の悲しみが堰を切ったように溢れてくる。

俯いて黙った兼続にやっぱりなあとつぶやくと、慶次はゆっくりと口を開いた。

「俺ンとこには幸村が来たぜ」

枕元にきちんと座って、戦に出たままの鎧で。馬鹿丁寧に畳へ頭をつけて、こう言ったという。

「兼続殿を頼みますってよ」

あの方はらしくないほど自分を捨ててしまったから、見ていてとても辛いから。私も三成殿も、生き残った兼続殿には、精一杯理想を語り続けていてほしいから、と。

「あんまり心配かけんなよ、あいつらに」

頭に置かれた手が温かすぎて、また咽の奥が苦しくなる。震える肩を抱き寄せ、なだめるように慶次は背中をさすってくれた。


大きな慶次の肩越しにぼやけた視界で見上げた空は、ただただ広く青く無限に続いている。

あの空の向こうに三成はいるのだろうか、そしていつか自分が向こうへ行ったときはかつてのように仲間として迎えてほしい。


生きてくれ、兼続。

俺と、幸村の分まで。


「生きようぜ、兼続」


また共に、語り合える日が来るまで。


2006.4.16

# 2016.2.13 修正



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お読みくださりありがとうございました。

移行してきたつもりがされていなかったので、持ってきたついでに少し手直しをしました。

戦国2の幸村シナリオに史実を足しているという適当ぶりなので、大坂の陣後ですが慶次は生きています。


オリジナルはこちら(旧サイト)になります。

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