『天邪鬼』(兼続×三成)




薄暗い寝間の小さな行灯の下、胸元についた朱痕を眺めて三成が苦笑した。

「今夜は一段と濃いな」

半身を起こし、兼続にもよく見えるように肩を上げてみせる。

「八つ当たりか?」

常であればこんなときは、わざと茶化した口調にさえ詫びをくれるところだが、今日の兼続は応えのないまま腕の中にいる三成の頭を気持ち力強く胸に引き寄せただけで、こちらの顔を覗こうともしない。

その、めったに見せない仕草に本当に兼続の機嫌が悪いことを確信した三成は、久方ぶりの逢瀬なのにと言いたい気持ちを辛うじて喉元に留め、黙って腕主の指が髪を梳くに任せていた。


文禄某年如月、京は吉水神社を本陣に、豊臣家の主催で盛大な花見が行われた。この花見は秀吉が懇意の 大名を集めて催す年間行事のひとつで、それに呼ばれたということはすなわち、豊臣の天下の中でその存在を認めてやるというお墨付きをもらうことと同等である。それゆえ、この花見も例外ではなく、三成をはじめ、前田利家、徳川家康、加藤清正など、各地の名立たる大名が列席していた。

伏見城の普請のため京に赴いた兼続もまた上杉の筆頭家老としてこの催しに招かれたのだが、今年はその席に兼続が忌み嫌っている奥州の独眼竜・伊達政宗が居たのだ。


兼続の仕える上杉が在る越後と政宗が治める陸奥は、領地が近い。小田原攻めに続く奥州仕置きの後、北の一帯を揺るがしていたごたごたが収束して久しいものの、年若く血気盛んな主人を頂く伊達を後方の瘤として上杉が牽制したい気持ちはよくわかる。

加えて先の大陸出兵の折、兵たちに略奪を禁じ在島の文化財散逸を憂いていた兼続からして見れば、出陣の際華美な衣装で秀吉の目を引き機嫌を伺った政宗の行動は、戦を己の益として利用する行いとして、唖然を通り越し理解できぬ部類に入ってしまうらしい。


「お前は本当に伊達が嫌いだな」

兼続と政宗の犬猿の仲は今に始まった話ではないが、いつまでも機嫌を直さない姿に、自分の人嫌いを棚に上げて三成が呆れてみせる。

「何をそんなにむくれているのだ」

宴の折の仮装の華美、和歌の媚、理由が測れぬこともないが席が近かったわけでもなし。三成がそう兼続に向かって首を傾げて問うてみると、わずかな沈黙の後、押し殺すような低い声音が漏れた。

「お前も見ただろう、三成。花見の最中、家康に取り入る様を」

思い出すのも不快そうに、細く瞼を歪める。

「あれは今に豊臣を裏切る。数に屈し数で転ぶ、不義の犬だ」

その吐き捨てるような冷たい物言いは、人当たり良く弁舌爽やかと周囲から誉れの高い兼続しか知らない者であれば、即刻耳を疑うであろう響きを持っていた。


確かに三成も同じ危惧を持ってはいる。義のあるなしはさて置き、大陸出兵の疲弊に伴って秀吉の勢いに陰りが見えて来た近年、豊臣を脅かす存在として徳川家康は最も警戒しなければならない人物だと思っている。その家康に奥州の覇者が擦り寄っていることは見過ごせない事実であるし、友の忠告にも頷ける。

だが、こうして宵を楽しもうとするさなか、眉間に皺ばかり寄せられたのでは面白くない。

「お前を説き伏せるつもりはない」

昼間のことを未だ引きずる兼続へ、再び言葉を渡す。

「しかし、今は同じ秀吉様の下にいるのだ。しばらくは矛を収めてはどうだ」

遠回しに機嫌を直せと言ってみるものの、一度頭に血が上るとなかなか下がらない兼続は、通り一遍の返答すらなしに顔を顰めてみせるだけだった。


重い沈黙を動かしたのは、三成が派手に鼻をならした音だった。

せっかく二人きりだというのに、こうも頑な態度を取られたのでは呆れを通り越して怒りすら沸いてくる。加えて、先ほどは茶化してすませたものの、ずいぶん乱雑に肌を合わせられたことへの不満が油となって三成の火に注がれ始めた。

「頑固者が」

一言言い捨て、三成は兼続の胸を心持ち強く押しのけた。

「友の声すら聞かぬお前など、もう知らん」

歪めた顔のまま口を尖らせる。

「昼間のことを愚痴愚痴と。そんなに伊達が嫌いなら、こたびの花見に応じなければよかったではないか」

何も強制されたわけでなし、語気を弱めず三成は言葉を続ける。

「ついでに城の普請も投げて、さっさと越後へ帰ってしまえ」

そう言って、着崩れた浴衣を直しふいとあからさまにそっぽを向いた。


三成が体ごと向こうを向いて黙してから、数刻。

「普請を投げたら、それは半ば豊臣への反旗になってしまうが、よいのか」

ようやく兼続の声がかかった。

「構わん」

問いに素っ気なく返してまた知らぬ振りをしてみる。と、今度はやや諦めた様子の独り言が漏れ聞こえてきた。

「となると、私と三成が刃を交えるのことになるのか……」

背後の声音からするに、おそらく眉間の皺はいつも以上に険しいに違いない。もうしばらくすれば、それはあり得ん、嫌なことを言うななどと言いながら、即刻こちらに詫びを入れるに決まっている。

だが、振り向き様目に映ったのは三成の予想に反し、何故か愉快そうに空を見つめる兼続の眼差しだった。

「しかし、それでも構わないかも知れん」

想像を超えた回答と反応に呆けた三成の顔を改めて覗き込み、兼続は少しだけ口の端を上げてみせた後、いつもの柔らかい笑みを浮かべる。

「私とお前、どちらが勝っても義の世は築かれるからな」

心底嬉しそうに微笑んで兼続は、先ほど離れた三成を強く引き寄せ抱き締めた。


腕の強さに従いながら、三成はふん、と小さく鼻をならして肩をすくめる。

包み込む腕の主は、ようやくいつもの姿に戻ったようだ。


人当たりが良く誠実で、公平に人を見ると評判の兼続が、時折見せる不機嫌な顔も嫌いでなない。けれど、やはり彼には自分にはない豊かな表情で朗らかに笑っている姿がなにより似合うと、三成は思う。


まったく、手間のかかる。


そっと息をつきながらしぶしぶさを装って三成は微笑む兼続の胸に顔を寄せる。

「もう八つ当たりはなしだぞ」

見上げて頬に伸ばしたその白く華奢な指に、返答の口付けが優しく落ちてきた。



2007.9.30



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上杉視点なので政宗好きの人にはあんまり良い内容ではなくてすみません。

歴史に絡めてもっと真面目な話になるつもりが、ただいちゃついている二人の話になりました。ラストは戦国無双2 Empiresのイベントから拝借しています。


ちなみに、花見に政宗が参加したのは史実ですが、兼続が列席したかどうかはよくわかりません。ですが、普請のために京にいたらしいので、たぶん顔出してたんじゃないかと思います。

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